まのの日記

Imitation girl

メンヘラたち

入院する前ずっと、私はあまり有名ではないブログサイトでブログをやっていました。

 

そこは多分メンヘラと呼ばれるような人が、多いかは不明ですが、何人ものそういう感じの人が目立っていたので、、目についてしまって…というようなサイトでした。

 

そのブログサイトのそういう人たちを見て、なんでみんなそんなに自覚してるんだろう?自覚できるんだろう?と疑問に思って、たまに自分のブログにそんなことを書いたりしていました(もっといろんな疑問があったけど)

 

そうすると決まって、そういう人たちから文句を言われることがありました。

私に文句を言ってくる人は、同じ人というわけではなかったと思うのですが、決まって女性で決まって神経症の人でした。

 

何でそんなに自覚してるの?って疑問は神経症の人に投げかけてるわけでもないのですが結果的にそうなってしまうので仕方ないのですが。。。

 

治す気がないなんて言いたかったわけでもないのに、そう受け取られて文句言われたり。。。

自覚してるのなら自分で対処できることとか何かあるでしょ?って疑問にも文句(自分でどうにもできないなど)言われたり。

私の言葉がわかりづらくて、真意が伝わらなかったのもあるのですが。。。

 

文句言ってきた人たちに対して思うのは、この人たちは病気と認めてほしいんだなぁということです。

 

治したくて頑張ってるんだよ、でも病気だから簡単にはうまくいかないんだよとか私に言いたかったのかもしれません。

確かに病気はそういうものですけど、私には彼女たちは結局病気であることを捨てる勇気のない人に見えるのです。

 

自分は病気となぜ疑わずに信じてるのか、認めてほしがるのか。

 

私には分からないせいで、いろいろ疑問が出てきてしまって。。。

私も病気と認めら楽になることもあるのはわかる。

でも自覚は私にはないから、私の理解が足りず文句言ってるように見えたのかもしれません。

 

 

 

なだいなださんの著書カルテの余白に「ながれもの患者」という話があります。

 

症状を訴えて治したいと病院に来るけど、治そうとすると逃げていき、また違うところで同じ訴えをする。それを繰り返し流れていく患者。

こういう人が治るには、訴える症状が病気によるものというより自分の心が作り出していると認めなければならないが、そんなことできるはずない。

 

それに

長年病気として生きてきて、働かずとも生活できていたような人なら、病気が治ったから自立して働いて生活しろと言われても無理がある。そのまま病気の人としていた方が幸せだろう。

大体こんな話です。。。

 

話の最初にこのような人は大抵神経症の人と書いてありました。

 

神経症とかそんなことは別にどうでもいいのですよ。そこにこだわってるわけじゃない。(彼女たちに神経症の人に文句言ってるみたいに取られたので一応書いときます)

 

他人が病気と認めてくれなくてもいいじゃない。医者に認めてもらえば十分でしょ?

でも病院って、病気の可能性を否定してもらいたくて、もし病気ならその病気に勝ちたくて行くところだと思うんです。

 

 

病気と認めてもらえて自分のせいじゃないんだと安心する人はいるそうですが。

じゃあそのあとどうするか。

 

カルテの余白は古い本なので今は変わってるのかもしれませんが、自分が作り出しているというのも認める価値はあると私は勝手に思っています。

 

神経症って薬が必要な病気じゃないし病院に行かなくても、神経症的な症状があったとしても治る人は治るらしいです。

病気も苦かもしれませんが、病気になることで別の苦から逃れている状態もあるらしいです(一次利得とかいうらしい)

カルテの余白みたいに働かずとも生活が保障されたりしたら疾病利得になるとか。

精神病ではどうなのか分からないし、どこかで聞いただけの話なので間違ってたらすみません。。。

 

 

私が勝手に思うことは、「病気の自分」を捨てる覚悟があればきっと治るということです。

 

分かりづらい話になった気がします。すみません。

真意が伝わらずまた文句言われんじゃないかと怖い。

 

 

 

 

 

自分を追い詰める

去年、退院して作業所をやめてからずっと、単発派遣でいろんな会社に行き、多くて週3くらいしか仕事をしていなかったけれど、昨日から週5日のレギュラー派遣で仕事を始めました。

どのくらい長く働けるものなのか分からないけれど、当分の間ずっと同じ会社で働きます。

 

今は派遣先の会社での仕事を覚えてる最中です。色々覚えなければいけなくて、派遣先の会社も戦力として考えてくれてるのか、きちんと教えてくれるし、代わりの人もいないみたいだし、下手なことはできない緊張感と後戻りはできないという追い詰められた感があります。

 

私は昔から病院か学校で働きたいなと思っていたのですが、このレギュラー派遣の仕事は病院での仕事なので、仕事内容は肉体労働的なのですがよかったです。

 

私が通院している病院の主治医の先生にはずっと、私は病気じゃないと言ってきました。入院中つけられた病名は納得していますが、知名度ないし病気じゃないのとあんまり変わらないかなと思えるのです。

そして、この間病院に行ったとき、障害者枠での就労の話になって、私は病気じゃないから・・・とそのあとは言葉に詰まって言えませんでしたが、私は病気じゃないから、障害者枠で働くのもおかしいと思うという言いたかった本心を行動に移すことができました。

病院に行ってそんな話をして約1週間で。

 

自分のことを病気と思えず病気じゃないと言ってるのも、先生に原因があると言えなくもないんだよ。私は病院に通ってるとかそれが精神科だとか、全部隠して仕事始めたよ。

 

何が起こるか分からない。隠しているから、そこを言い訳的にも言えやしない。どんどん追い詰められてどうなるか分からない。

 

自分を追い詰めて、死ぬまで追いつめてって思ってるよ。

先生。

私の障害

私が診断されたこの病名が存在して

私のコミュ力が性格ではなく障害だと認められたことは、私は嬉しい。

 

今まで誰からも性格扱いされ、おかしい、直せ、努力が足りない、勇気が足りないだけ

こんな風な扱いを受けてきた。

 

私の障害は

都合の良いときに隠せるものではない。日常を通してずっとこの状態だ。

だから、都合の悪い時は障害を盾にして理解を求めたり、隠したいときには障害者じゃないふりができるような器用なことはできない。

これができるんなら、障害者でいる必要もない気がする。

 

私の障害は

目で見てわかるというものでもない。でも、説明しないと、私が過去散々されたように性格や努力不足の認識をされる。

仮に性格と理解されても、そういう人もいるよねという感じに、そのままを認めてくれるような人に出会えればいいなと思う。

わたしは、なるべく障害のことは言いたくないし、今働いてるところでも言っていない。

多分、おとなしい、無口な人なんだろうくらいの認識をされていると思う。

 

これは、私のわがままだけど、性格扱いされるのがすごく嫌なんだよね。

過去の学生生活などでは、この手の障害が全く認知されていなかったので、みんな性格扱いしてた。私はおかしいから変わらなきゃいけないみたいな扱いをずっと受けてた。

こういう扱いをした人たちを見返してやりたいとまで思う。

そのために、障害だと認められたことは良かった。

私は、必要ないのに自分から障害者ですと伝えることはしたくない。障害を盾にするのは絶対嫌だ。

その状態で円滑な人間関係を築くのには私の努力も必要だ。

 

ひとつ、これから私に出会う人や、過去に出会った人たちに望むのは、そのままの私を見て認めてほしいということです。

 

 

ブログ書きたい

ブログが書きたい。

書きたいことはあるけど文章にできない。

 

今まで書いたものを見返してたら、私を知っている人に即身バレする内容だったので削除しました。

 

自由にいろいろ書きたい。

 

そのままの自分で、これが自分だという感じに。

 

過去に別のところでブログを書いていた時は、自分に違和感あった。

自分の書く文章も不自然で、他人から影響されただけのものに思えて嫌だった。

 

これは今でも変わってないけど。

 

最近は好きな有名人が増えた。

 

その人たちは、私から見ると、すごく自分というものを出していて、そのままの自分でいる人達に見える。

 

私は一般人だから、普通の会社で働く時にビジネスマナーとか常識とかいろいろ意識しないといけないけど、その有名人達は、見知らぬ誰かにも知られるような仕事をしていて、その見知らぬ誰かに見られる時は、ある意味自分が商品だから自分を出せる。ここが私とは違うから、同じようにはいかないけど。

私が見ている有名人達のそれが作り物であっても私には羨ましく見える。

 

私もブログでなら、同じ様な事を許されるのかなって思って、今ブログを書きたいという気持になっているのです。

無責任な奴は何も変えることができない

小学5年の頃から不登校になって、毎日ワイドショーと笑っていいとも!と昼ドラを見て過ごしてた。

 

その頃のワイドショーは、ある女優の不倫だか離婚だかの話題を毎日何分も放送していた。

それを毎日見ていた、当時小学生の私は

「この女優さん、聞いたことないし誰だかわからないけど、こんな話で毎日報道されるなんて、よっぽど有名で、よっぽど重要なすごい人なんだろう」

と思った。

 

今思うとそれは間違いだった。今では全く聞かない女優さんだし、当時からそんなに有名でもすごいわけでもなかったと思う。

ワイドショーはちょっと有名だったら誰でもいいんだな。不倫でも離婚でもちょっと有名な人だったら話題にするのか。なんでもいいのか。というのが今の思い。

 

有名組織の不祥事とかも好きだよね。去年の年末から今年の始めは相撲協会の話題ばっかり。その頃、入院しててあまりTV見てなかったけど、久しぶりに見るとまだ長時間やってて、ほかに話題ないのかと思った。

 

最近だと、日大の話題とか。

お昼の番組とかで、日大と何の縁もゆかりもなさそうな芸能人たちが、この話題をあーだこーだ言ってたっぽい(見てないんで正確にはわからない)けど、そんなの誰が見たいと思うんだろうとか思う。私は見たいと思はない。

何の関係もない人が勝手にあーだこーだ言って、批判してるのとか聞きたくもない。

 

相撲の女人禁制の話とかに、文句言ってる人達を見てて思ったのは。

この人たちは普段相撲見てもないし、興味もないだろう。そんな人が、何か言ったところで何も変わりはしないだろうな。

ってこと。

だって、この人たちは責任取れないし取る気もないでしょ?

そんな無責任な人が何かを変えることなんてできるはずないと思う。世の中そんなに甘くないよ。

それに加えて、相撲に興味ないからか、何か知らなすぎて勘違いしてる人もいるし。

 

批判って無責任な立場だからこそ言える綺麗ごとだったりするよね。

確かな野党、共産党。とか考えればわかりやすいかもしれない。

政治のことはよくわからないから、これ以上言えないけど。

 

何かを変えたかったら、覚悟と責任が必要だよね。

その一番最初が、自分も批判されるということを自覚することだと思う。

自分の言ってることが、絶対に正しくて、反対意見や違う意見は全て間違いだ。馬鹿だ。

っていう考え自体、無責任な感じがするんだよね。

自分の言うことにも責任とれてなくて、反論は存在自体ないものにしたいんでしょ?

無責任なまま安全な場所にい続けようとする人は、力(権力)を持つことはないと思うから、結局何も変えることのできない人ってことになる。

無責任な人に何かを変える力なんてないから、何か変えたかったら責任取る覚悟が必要なんだと思う。

 

私が辞めたA型作業所の職員に、責任を取らせたいって今すごく思う。あの一番責任持つべき人が誰よりも無責任だったという人。

入院中は、入院費を損害として裁判でも起こそうかと思ってた。

 

市役所でやってる、無料法律相談とかに行ってみようかとは思ってる。

 

何かしらの責任取らせないと、私の気が済まない。

私も、責任を負うという覚悟をもって。

 

 

 

 

良い組織とダメな作業所スタッフ

作業所もやめて、今は失業給付を貰いながら、主に単発派遣バイトで働いています。

毎回同じところではなく、いろんな場所でいろんなことをして働いています。

そこで思ったのですが、その会社の上にいる人が良いところはいい会社だなと。

大きな会社だと上の人になんて会えないけど、その場合は派遣を指導してくれる社員の人を見て判断します。派遣と一緒に働くのはパートのおばちゃんであることが多いのですが、社員の人がしっかりとなんでも把握してて、人にきちんとものを教えられるかも重要なところです。

 

①派遣だろうと何だろうと人に対する接し方(人使い)が良いか

②人にものをきちんと教えられるか

③何でもしっかりと把握して責任を持っているか

 

これができている人が上にいる会社は良いところだと思います。

会社というより何かの組織でも、上にいる人が良くなきゃ下にいる人も良くないだろうから。

この手の派遣のやる仕事なんて、誰でもできる簡単なものばかりです。仕事内容よりそこで働いてる人がどんなかとか、環境のよさで応募してる人が多いと思います。

派遣だからと言ってぞんざいな扱いされたとか、人としておかしい社員がいるとかそういう場所は、一回以行った人がに二度と行きたくないと思い応募することもなくなるので地雷現場と化すでしょう。

派遣先企業の人も派遣がまじめに働いてるかとか、仕事できるかとか見てるかもしれませんが、逆に派遣も見てるんですよ。

 

 

私が辞めた作業所の職員は上にあげた三つがどれもよくありませんでした。

人の扱いについて、私に対してはすることにいちいち何かケチつけなきゃ気が済まないのかという感じでした。

私も、そのことを「はいはい」いってその方がいいですね的なこと言ったり、何でも言われた通りにしていたのも、この職員をのさばらせた原因かもしれません。

人にものを教えるのも下手です。ほかの人が言うには結局別の職員の人に聞くことになってたそうです。

そして、この職員は作業所内ですることに関して把握してないものが結構あったのです。私にまで「これどうするの?」と聞いてきて私はどういうつもりだよと思いました。

把握してないということは責任を持ってないということだと思います。

ある利用者が、ミスしたときこの職員は無責任に責めてました。

その利用者に「慣れてきたらあなたが教えなきゃいけない」と言ってましたが、まずその職員がそれができてないせいで、起こったことだと思います。私は「お前が把握してお前が教えておかなきゃいけないことだろ」と思いました。

 

こんな風に、一番責任をもってなんでも把握して円滑に仕事が進められるようにすべき人が、誰よりも無責任な人でした。

仕事に関しても、しなくてもいいような余計な作業を増やし、邪魔な存在くらいなでした。

いない方が何するにもスムーズで、私はこの作業所にあいつは必要ない。

そういう考えになっていきました。