まのの日記

さらけだす

ネットで言い訳

昔やってたブログサイトで見かけた記事を何となく思い出した。

このブログの過去記事にあるメンヘラ系の人ではない。ちなみにそのブログサイトはかなりマイナーなので有名人は利用していません。

本題

とある人が、あるブログ記事を書いたらコメントで苦情か文句を言われたらしく、それに対して「あなたに迷惑かけました?」と反論していたというものです。

私は疑問を持ちました。

例えば、芸能人が不倫したと報道されたら、直接迷惑かけられていない一般の人達が、非難したり時には誹謗中傷みたいなことを言ったりしている。

個人的に、元から嫌いだったとか言い出す人には何となく笑ってしまう。

 

上に書いた通り、文句言われたブログ主は有名でも何でもない人です。

でも、迷惑かけてないからいいでしょみたいな言い訳って、ネットの世界では通用しないよね?

 

ネットは公共の場所みたいに誰に見られてるか分からない。無関係の第三者にも見られる。ブログの場合自分の姿は公開していなくても文章(発言)は誰に見られるか分からない。誰かの癪に障ることを書いていて文句言われるかもしれない。

それが嫌なら、家でノートとかに誰にも見られず誰にも見せず書くしかない。

ネットの世界では有名人みたいに見知らぬ赤の他人に自分を知られる。

 

私のこのブログもコメント拒否しています(確か…)

三者からの文句、苦情を考えてではなく、コメントが来たとしてもうまく返せないと思っているからという理由からなのですが。。。

コミュ障はネットでもどこでも変わらないのです。

 

ネットは怖い。

 

マイナーブログサイトで書いてた時から、私を直接知っている人にブログ見られていたらどうしようと思って怖かった。今も。

私は文句苦情よりそっちが怖い。

私もブログ記事に苦情来たことあるので(メンヘラ記事のやつ)その時は、素直に謝罪して記事削除したのですよ。言い訳はその時はしていない。

 

身バレするようなことは書けない。削除もしたし。。。

 

まとめると

不倫した有名人だって、関係ない一般人に何か言われても「あなたに迷惑かけていないんだから何も言うな」なんてこと言うわけないから、あの言い訳はおかしいなーと思ったことを何故か急に思い出して書いてみました。

汚部屋からの脱出

気に入った服を買っても、着る機会が無いことと、既に服をたくさん持っているので、買っても無駄になるだけだと気づき買わなくなりました。

 

部屋のものを減らしたいのに減らせない。

部屋は汚部屋。

 

ミニマリストとまでは行かなくても、不要なものを排除して好きなものに囲まれて生活したい。

今は何処に何があるかも把握できてなくて、探し物をするという無駄な時間が生まれてる。

 

服は昨日、クローゼットに入れるチェスト買ったけど、これ以上は増やせないくらいの服があります。どう考えても、減らさないなら新しく買えない。

 

明日はブックオフオンラインの集荷がやってくる予定。ゲームソフトと本を売ります。

本もいっぱいあって、収納スペースに入りきらなくなったら何かを処分してスペースを確保してから新しいのを買ったりしなきゃやってけない。服と同じ。

 

ブックオフの買取は安いとか言われてるけど、ブックオフの後にできたような、本やゲームやらを買い取ってくれる店よりもマシだったりするよね。

 

今回はあんまり売らないので数百円くらいにしかならないと思うけど、お金が欲しいというよりもいらないものを処分したいという気持ちが上なので良いのです。

 

本といえば、最近はメンタリストDaiGoさんの本買いました。一冊じゃなくて5冊。

最新刊の勉強法の本も買いました。まだ読んでませんけど。

今日読んだのは集中力の本です。

DaiGoさんの本は重要なところはマークしてあるし図も多い。情報が簡単にまとまってて読みやすい。

この5冊を読み終わる頃には、DaiGo教の信者かのように、内容を鵜呑みにして洗脳状態になってるかもしれない。。。

勉強法の本ならそれで効果あれば別に良い気もする。怪しい医療情報とかと違って害はないよね。

 

なんだかんだ書きましたが、プチミニマリストを目指したい。

現状、真逆の部屋をなんとかしたい。

 

今はそんな気持ちです。

彼女たちは

前回のメンヘラたちの続き。

 

彼女たちは、自分が病気じゃないと言われることに恐怖なりなんかがある気がする。

 

自分は病気ということに疑問も持たず、他人からもそう見られることを求む。

 

わたしは病気だよと。認められたい。

治したいと言いながらも、それを求めるのは矛盾していると思う。

 

神経症は性格の問題でもある。

自分にも原因がある。

 

これはわたしの考えではなく医者に聞いたことです。

 

きっと彼女たちは、このことは受け入れられないのだと思う。

 

パニックとか強迫とか、自分がその病気だと意識すればするほど、悪い方向へ向かう気がする。

予期不安につながったり。強化されたり。

 

忘れることは難しいけど、意識しない時間が増やせれば良い方向へ向かう気がする。

私の勝手な意見だけど。

 

ある人は、これは病気ではなく性格だと思うこと。そして、たいせつな何かが出来て、病気の自分じゃなく、なりたい夢、なりたい自分が出来たことで良くなったと言っていた。

 

見知らぬ他人にまで、病気であることを認めてもらいたいかのような批判をしてきた彼女たちに

病気の自分を捨てる覚悟はあるのだろうか。

 

 

メンヘラたち

入院する前ずっと、私はあまり有名ではないブログサイトでブログをやっていました。

 

そこは多分メンヘラと呼ばれるような人が、多いかは不明ですが、何人ものそういう感じの人が目立っていたので、、目についてしまって…というようなサイトでした。

 

そのブログサイトのそういう人たちを見て、なんでみんなそんなに自覚してるんだろう?自覚できるんだろう?と疑問に思って、たまに自分のブログにそんなことを書いたりしていました(もっといろんな疑問があったけど)

 

そうすると決まって、そういう人たちから文句を言われることがありました。

私に文句を言ってくる人は、同じ人というわけではなかったと思うのですが、決まって女性で決まって神経症の人でした。

 

何でそんなに自覚してるの?って疑問は神経症の人に投げかけてるわけでもないのですが結果的にそうなってしまうので仕方ないのですが。。。

 

治す気がないなんて言いたかったわけでもないのに、そう受け取られて文句言われたり。。。

自覚してるのなら自分で対処できることとか何かあるでしょ?って疑問にも文句(自分でどうにもできないなど)言われたり。

私の言葉がわかりづらくて、真意が伝わらなかったのもあるのですが。。。

 

文句言ってきた人たちに対して思うのは、この人たちは病気と認めてほしいんだなぁということです。

 

治したくて頑張ってるんだよ、でも病気だから簡単にはうまくいかないんだよとか私に言いたかったのかもしれません。

確かに病気はそういうものですけど、私には彼女たちは結局病気であることを捨てる勇気のない人に見えるのです。

 

自分は病気となぜ疑わずに信じてるのか、認めてほしがるのか。

 

私には分からないせいで、いろいろ疑問が出てきてしまって。。。

私も病気と認めら楽になることもあるのはわかる。

でも自覚は私にはないから、私の理解が足りず文句言ってるように見えたのかもしれません。

 

 

 

なだいなださんの著書カルテの余白に「ながれもの患者」という話があります。

 

症状を訴えて治したいと病院に来るけど、治そうとすると逃げていき、また違うところで同じ訴えをする。それを繰り返し流れていく患者。

こういう人が治るには、訴える症状が病気によるものというより自分の心が作り出していると認めなければならないが、そんなことできるはずない。

 

それに

長年病気として生きてきて、働かずとも生活できていたような人なら、病気が治ったから自立して働いて生活しろと言われても無理がある。そのまま病気の人としていた方が幸せだろう。

大体こんな話です。。。

 

話の最初にこのような人は大抵神経症の人と書いてありました。

 

神経症とかそんなことは別にどうでもいいのですよ。そこにこだわってるわけじゃない。(彼女たちに神経症の人に文句言ってるみたいに取られたので一応書いときます)

 

他人が病気と認めてくれなくてもいいじゃない。医者に認めてもらえば十分でしょ?

でも病院って、病気の可能性を否定してもらいたくて、もし病気ならその病気に勝ちたくて行くところだと思うんです。

 

 

病気と認めてもらえて自分のせいじゃないんだと安心する人はいるそうですが。

じゃあそのあとどうするか。

 

カルテの余白は古い本なので今は変わってるのかもしれませんが、自分が作り出しているというのも認める価値はあると私は勝手に思っています。

 

神経症って薬が必要な病気じゃないし病院に行かなくても、神経症的な症状があったとしても治る人は治るらしいです。

病気も苦かもしれませんが、病気になることで別の苦から逃れている状態もあるらしいです(一次利得とかいうらしい)

カルテの余白みたいに働かずとも生活が保障されたりしたら疾病利得になるとか。

精神病ではどうなのか分からないし、どこかで聞いただけの話なので間違ってたらすみません。。。

 

 

私が勝手に思うことは、「病気の自分」を捨てる覚悟があればきっと治るということです。

 

分かりづらい話になった気がします。すみません。

真意が伝わらずまた文句言われんじゃないかと怖い。

 

 

 

 

 

自分を追い詰める

去年、退院して作業所をやめてからずっと、単発派遣でいろんな会社に行き、多くて週3くらいしか仕事をしていなかったけれど、昨日から週5日のレギュラー派遣で仕事を始めました。

どのくらい長く働けるものなのか分からないけれど、当分の間ずっと同じ会社で働きます。

 

今は派遣先の会社での仕事を覚えてる最中です。色々覚えなければいけなくて、派遣先の会社も戦力として考えてくれてるのか、きちんと教えてくれるし、代わりの人もいないみたいだし、下手なことはできない緊張感と後戻りはできないという追い詰められた感があります。

 

私は昔から病院か学校で働きたいなと思っていたのですが、このレギュラー派遣の仕事は病院での仕事なので、仕事内容は肉体労働的なのですがよかったです。

 

私が通院している病院の主治医の先生にはずっと、私は病気じゃないと言ってきました。入院中つけられた病名は納得していますが、知名度ないし病気じゃないのとあんまり変わらないかなと思えるのです。

そして、この間病院に行ったとき、障害者枠での就労の話になって、私は病気じゃないから・・・とそのあとは言葉に詰まって言えませんでしたが、私は病気じゃないから、障害者枠で働くのもおかしいと思うという言いたかった本心を行動に移すことができました。

病院に行ってそんな話をして約1週間で。

 

自分のことを病気と思えず病気じゃないと言ってるのも、先生に原因があると言えなくもないんだよ。私は病院に通ってるとかそれが精神科だとか、全部隠して仕事始めたよ。

 

何が起こるか分からない。隠しているから、そこを言い訳的にも言えやしない。どんどん追い詰められてどうなるか分からない。

 

自分を追い詰めて、死ぬまで追いつめてって思ってるよ。

先生。

私の障害

私が診断されたこの病名が存在して

私のコミュ力が性格ではなく障害だと認められたことは、私は嬉しい。

 

今まで誰からも性格扱いされ、おかしい、直せ、努力が足りない、勇気が足りないだけ

こんな風な扱いを受けてきた。

 

私の障害は

都合の良いときに隠せるものではない。日常を通してずっとこの状態だ。

だから、都合の悪い時は障害を盾にして理解を求めたり、隠したいときには障害者じゃないふりができるような器用なことはできない。

これができるんなら、障害者でいる必要もない気がする。

 

私の障害は

目で見てわかるというものでもない。でも、説明しないと、私が過去散々されたように性格や努力不足の認識をされる。

仮に性格と理解されても、そういう人もいるよねという感じに、そのままを認めてくれるような人に出会えればいいなと思う。

わたしは、なるべく障害のことは言いたくないし、今働いてるところでも言っていない。

多分、おとなしい、無口な人なんだろうくらいの認識をされていると思う。

 

これは、私のわがままだけど、性格扱いされるのがすごく嫌なんだよね。

過去の学生生活などでは、この手の障害が全く認知されていなかったので、みんな性格扱いしてた。私はおかしいから変わらなきゃいけないみたいな扱いをずっと受けてた。

こういう扱いをした人たちを見返してやりたいとまで思う。

そのために、障害だと認められたことは良かった。

私は、必要ないのに自分から障害者ですと伝えることはしたくない。障害を盾にするのは絶対嫌だ。

その状態で円滑な人間関係を築くのには私の努力も必要だ。

 

ひとつ、これから私に出会う人や、過去に出会った人たちに望むのは、そのままの私を見て認めてほしいということです。

 

 

ブログ書きたい

ブログが書きたい。

書きたいことはあるけど文章にできない。

 

今まで書いたものを見返してたら、私を知っている人に即身バレする内容だったので削除しました。

 

自由にいろいろ書きたい。

 

そのままの自分で、これが自分だという感じに。

 

過去に別のところでブログを書いていた時は、自分に違和感あった。

自分の書く文章も不自然で、他人から影響されただけのものに思えて嫌だった。

 

これは今でも変わってないけど。

 

最近は好きな有名人が増えた。

 

その人たちは、私から見ると、すごく自分というものを出していて、そのままの自分でいる人達に見える。

 

私は一般人だから、普通の会社で働く時にビジネスマナーとか常識とかいろいろ意識しないといけないけど、その有名人達は、見知らぬ誰かにも知られるような仕事をしていて、その見知らぬ誰かに見られる時は、ある意味自分が商品だから自分を出せる。ここが私とは違うから、同じようにはいかないけど。

私が見ている有名人達のそれが作り物であっても私には羨ましく見える。

 

私もブログでなら、同じ様な事を許されるのかなって思って、今ブログを書きたいという気持になっているのです。